たいてい全部ただの日。

雨の日もとか風の日もとかいちいち言わないブログ。

悔いのない人生なんてない

春は出会いと別れの季節だと人は言う。街では新しい出会いを喜び、旅立つ人の前途を祝う宴があちこちで繰り広げられている。出会いにせよ別れにせよ、人の未来に接することは楽しく嬉しいものだが、今生の別れには、できれば接したくないと思う。

 

高校の同級生が亡くなった。彼と最後に会ったのは、一昨年の同窓会兼忘年会の席。高校生の頃から明るくてクレバーだった彼は、大手広告代理店から独立し、プランナーとして業界で大活躍していた。そんな彼の、飾らず驕らず、それでいて自信に満ちた言葉が、今も耳に残っている。その年が明けて早々に病が見つかり、約1年にわたる闘病の末、彼は旅立ったそうだ。

 

彼の葬儀には、それはもう大勢の人々が集まっていた。式場に飾られた仕事仲間からのメッセージや弔辞は、彼がいかに全力で人生を生きていたかを語っていた。それだけに、今この歳で、幼い子を残して去ることは、仕事盛り半ばでの死そのこと以上に、彼にとってどんなに悔しいことであったろうかと思う。それでも、彼が家族に対しても、その他周りの人々に対しても、そして世の中に対しても、多くの素敵なものを遺したことは、本当に誇ってほしい。

 

前にもどこかで書いたけれど、私の父は53歳で亡くなった。自分の年齢がその没年まで10年を切ったとき、自分の残りの人生はあと10年を切ったつもりで生きていこう、日々後悔しないように生きていこうと誓ったものだけれど、彼ほど全力で生きた人生でも悔しさは残る。

某少年漫画に出てきた強敵みたいに、「一片の悔いなし!!」と言い切れる人生は、なかなか難しいのだ。願わくば少しでも後悔のタネが無くなるように、家族や周囲に少しでも良いものを遺せるように生きられたらいいなと改めて思う。肉体は滅んでも、人格を言葉や画像に変えて永遠に遺せるのが人間の特権だから。

 

彼の魂と彼の家族の幸せが、これからも生き続けることを祈って。