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「意識高い」ってどういうこと?

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7月号の特集テーマは「苦手&弱点攻略法」。夏に向けて学力の穴をカバーしたい受験生の皆さんの参考になることを願う。

さて、メインの特集については本誌をじっくりお読みいただくとして、ここで第2特集で、大学のクラブ・サークルを取り上げた記事について触れておきたい。これも詳細は本誌を読んでね(笑)

私が担当したのは、早稲田大学ラオスへの教育支援に取り組む学生プロジェクトの取材。会の中心的な役割を務める3人の学生さんに、プロジェクトに入ったきっかけや活動の魅力についてお話を伺った。

現地の子どもたちの笑顔を見る喜びや困難な出来事を乗り切ったときの達成感など、私は自分のゴミのような学生時代を思い出しながら何だか申し訳ないような気持ちで話を聞いていた。

 

ちょっと話は変わるが、私には世の中を見ていて「こりゃネーミングを誤ったなあ」と思う言葉がいくつかある。そのひとつが「意識高い系」という言葉だ。

勉強やビジネススキルの習得、人脈づくりなど自分を磨くことに熱心だが、その目的が就活での自己アピールや優越感ゲームなど、あまり生産的でない方向に向いている人―というのが自分の中での「意識高い系」の解釈で、まあそういう人いるよねというのは確かに思うのだが、この言葉を使われる方からは「前向きに努力している若者をバカにするな」と反論が上がり、かたや「地道に生きてるサラリーマンをバカにしてるのは意識高い系のほうだろ」と罵り合うというなんとも不毛な状況が生まれているのは、「系」の1文字に語義の重みを乗せすぎているこの言葉のネーミングの問題なんじゃないかなあと常々思っている。そして、本来であれば世の中や自分自身のために役立つはずの知識やスキルや人脈を「自分飾り」にしか使わない若者がいるとするならば(いるんだけど)、それは本人の問題というよりも、そういう方向に彼ら彼女らを唆す「わるい大人」の存在に問題の根があるんじゃないかということも、考えに添えておかねばならないと思う。

 

話を戻す。私が早稲田で出会った3人の学生さんたちは、ほんとうの意味で、意識の高い若者たちだった。意識が高いというよりは、自然に意識が高くなったというほうが正確かもしれない。メンバーの一人は、軽い気持ちで始めたこの活動がきっかけになって、いま、東南アジアで働くことを視野に入れた進路を組み立てているという。
小誌の編集体制として、そういう学生さんに出会いやすいバイアスがあることは自覚している。それでも、そんな若者たちが少なからず存在するというのはたまらなく喜ばしい事実だし、その方向に少しでも光を当てることは、ハメを外した様子をTwitterにうpして炎上している学生を悪目立ちさせるよりなんぼかポジティヴだと思うのだが、メディアに携わる皆さんはどう思うだろうか。