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たいてい全部ただの日。

雨の日もとか風の日もとかいちいち言わないブログ。

今日は何の日

東日本大震災から、明日で6年を迎える。

今年もまた、人々は大切な人たちの喪われた命を思い出し、明日へ向かって歩き続ける決意を新たにすることだろう。

この震災の死者・行方不明者数、18,455人。(2016年3月10日現在)

あの日の恐怖と悲しみの記憶は、まだまだ忘れ去られることはない。

 

もう一つ、憶えておかなければいけない日がある。それが今日。

東日本大震災から66年と1日前のこの日、あの震災の5倍以上の命が、東京たった1都だけで、一晩のうちに奪われた。

東京大空襲 - Wikipedia

 

平和は忘却を生む。それは悪いことばかりではないと思うけれど、日本人が国のために死ねと命じられたあの時代の体制を肯定するような考え方があったとしたら、それは人として大切なものをあまりに忘れていないか。

 

国が公表している第二次大戦の日本の戦没者総数は約310万人。

学問や仕事、友情、恋愛や結婚、新しい家族…いろんな可能性に満ちていた310万個の未来が、あの戦争で奪われたのだ。その人たちの魂に向かって、あの頃の日本は良かったですねなんて、どんな顔して言えるだろう。

 

 終戦から72年。

忘れない。忘れさせない。今年はそう、決意を新たにしなきゃいけない気がしている。

 

どうでもいい話

前職で一度提案を受けた某ネット広告代理店の人が会社の代表番号に私宛ての電話をかけてきた。前任が退職したので一度ご挨拶に伺いたく…と言うので、
私「私、1年くらい前に異動しまして」
代理店「なるほどですね」
私「ご用件は後任に申し伝えておきますので、私宛にメールをいただけますか」
代理店「かしこまりました。後ほどメールをお送りいたします」
で、メールが来ない。

 


というやりとりが半年くらいの間に2、3回発生しているんだが、彼はいったい何がしたいんだろう。

間合いの県民性

この間、仙台へ取材に行った。

実は入社2年目の頃に山形で仕事をしていたことがあって、仙台にも何度か遊びに行ったことがある。

そのときには全然気づかなかったのだが、今回街を歩いていておやと思ったことがある。

 

他人同士の間合いが異常に近いのだ。

 

ちょっと何言ってるかわからないかもしれないが、例を挙げるとこういうこと。

例えば道で見知らぬ二人がすれ違うとき、東京なら数メートル先からお互いが微妙に進路を外側に反らし、いい感じに距離を取りながらすれ違おうとする。

ところが仙台では、ほとんどぶつかりそうな距離まで近づいてくるのだ。人を追い抜くときも同じで、油断しているとドキッとさせられる。念のために補足しておくと、細い道やひどく混雑した道を歩いていたわけではない。

もう一つあった。信号待ちをしていたら後ろにサラリーマン風の二人連れが立って会話をしていたのだけれど、これも距離が異様に近いうえに声が大きいので、まるで耳元で話をされているくらいに内容が丸聞こえで困ってしまった。

 

人間にはこれ以上接近されると不安・不快になるというパーソナルスペースがある程度定まっているというが、その距離が県民単位で異なっているとするとそれはそれで面白い現象だなと思う。

ATフィールドの観点で考えると、エヴァパイロットを選ぶときは県民性も考慮に入れた方がいいということだ。(結論がおかしい)

 

 

新年のご挨拶とセンター試験と

大学入試 仕事

新しい年になってすでに2週間が経ってしまうわけだが、どうにも筆無精なもので心苦しい限り。

ということで今年もよろしくお願いいたします。

 

明日はいよいよセンター試験本試験の初日。

色々な想いを胸にして戦いに臨む受験生すべてに幸せな春が訪れることを祈る。

が、当座心配なのが明日・明後日の天候。

私の大学時代の友人が新潟県三条市で温泉旅館を営んでいるのだが、地元の写真を昨日Instagramにアップしていた。

www.instagram.com

 

なんだこれは。

交通に大きな影響が出ないといいけれど。

 

天気予報では、降雪は日本海側を中心に西は広島県にまで及ぶとのこと。受験生のみなさんは、試験場の大学ホームページなどをこまめにチェックしていただき、くれぐれも早め早めの移動を心がけてほしい。

 

ちなみに、ちなみに、、

螢雪時代2月号、明日発売です。

passnavi.evidus.com

 

2次出願のポイントなど、センター受験後に役立つ情報を多く掲載。ひと息ついてからでいいので、手にとって参考にしてもらえると幸い。

 

最後に、東京・神楽坂にある「螢雪天神」に奉納した絵馬の写真で締めとしたい。

いくぞ、受験生!

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年末の挨拶に代えて

螢雪時代1月号、好評発売中です。よろしくお願いします。

https://passnavi.evidus.com/keisetsujidai/

 

センター試験まであと16日。
自分の受験生時代でふと思い出したことがあったので、少し自分語りする。

 

今から二十数年前のこと。私の父は、私が高校3年生だった年の12月16日に亡くなった。
父は外国から医薬品や医療機器を輸入販売する商社で働いていて、私が生まれる前から某国と日本を行き来する生活を続けていた。その多忙さもあってか、息子の教育に関してあまり積極的に口を出す方ではなかったが、父は自分の顧客として接する医師という職業にたいへんな敬意を持っていて、私にも医師になってほしいという想いを密かに持っていたようだった。

 

かたや息子の想いはどうであったか。残念ながら、私は物心ついた頃から父が苦手だった。
営業マンでもあり生来の酒好きでもあった父は、毎晩のように酔って帰宅していた。酒好きとはいっても決して酒に強い方ではなかったらしく、泥酔して家などで醜態を晒すことも少なくなかった。私は、そんな父が嫌でたまらなかった。

そんな父が、入院することになった。母からは、胃の手術か何かだと聞かされた。実は父は、私が7歳くらいの頃にも一度、胃を切除する手術で入院したことがある。そのことを覚えていたのでさほど驚きも心配もせず、ついでに心のなかで、
(酒ばっかり飲んでるからだ)
と毒づいた。

 

入院の前日だっただろうか。来月に迫ったセンター試験に向けて受験勉強中の私の部屋のドアを、父が開けた。
「どうだ。頑張ってるか」
私は答えなかった。父が続ける。
「医学部(への進学)も、考えてみていいんじゃないか?」
頭にカッと血が上った。当たり前だが、私はもう何か月も前から某国立大学の文学部を第1志望に決め、そのための受験勉強をずっと続けてきた。センター試験の受験科目出願もとっくに済ませてある。医学部受験への転向など、どこからどう突っ込んでもむちゃくちゃな話である。
「何もわかってないなら、口を出さないでくれ」
私が視線も合わさずに冷たく言い放つと、父はそれきり黙って、部屋のドアを閉じた。

 

12月15日の深夜のこと。母と兄は病院に詰めていて不在だった。家に誰もいないのをいいことに、テレビの深夜番組にうつつを抜かしていた私のもとに電話がかかってきたのは、明け方近くだった。
お父さんが危ないからすぐ病院に来てほしい、という母の言葉の意味がわからなかった。単なる胃の手術なのに?なんでそんなことになる?

 

始発電車に飛び乗って病院へ駆けつけた私の目の前にあったのは、野戦病院のように血まみれになった処置室のベッドに横たわり、切れ切れに呼吸している父の姿だった。その周りを、医師と看護師が慌ただしく動き回っている。
父がうっすらと目を開けて私を見た。その口が動いて、
「がんばれよ」
というかすかな声が、確かに聞こえた。それから間もなく、父は意識を失った。

医師に促されて処置室を出た私に、母が震える声で告げた。
父は胃潰瘍などではなく、末期の膵臓がんだったこと。
大学受験を控えた私を動揺させないために、本当の病状は知らせないでおこうと、母と兄の間で決めていたこと。
(父本人にも告知はされなかったが、職業柄ふだんから医療の勉強を欠かさなかった父には、自分の病状は十分すぎるほどわかっていたらしい、というのは後から聞いた話)

個室に移された父と一緒に居てあげてください、と医師に促された。
もはや握り返してくることもない、父の大きな手を家族3人で握っていると、涙が出て止まらなくなった。
父親を喪う悲しみよりも、父の気持ちを理解できなかった、理解しようともしなかった自分への不甲斐なさと悔しさが圧倒的に強かったように思う。数日前に父と交わした最後の言葉。私が投げつけた硬い氷のような言葉が遠くから跳ね返ってきて、がらんどうの心のなかで、あちこちに傷をつけながら転がり落ちていくようだった。

 

父の葬儀には、仕事仲間などたくさんの人々が集まってくれた。彼らは53歳という若さでの死を嘆きながら、明るく豪快で、誰に対しても優しかった父の生前の姿を私たちに語ってくれた。家で酔いつぶれている様子からはうかがい知れなかった父のもう一つの顔が多くの人の心のなかで生き続けることは、嬉しくもあった。

そして2月下旬、私は受験勉強を終えた。第1志望の国立大学には通らなかったけれど、第2志望の私立大学に現役合格することができた。真新しい墓の前に合格通知をかざしながら、心のなかで呟いた。
(どうだ。俺はがんばったよ)

 

家の中が落ち着いてしばらく経ったとき、母が写真を何枚も出してきた。
それは、私が雨の中でずぶ濡れになりながら走っている写真だった。
私の通っていた高校では伝統行事として、学校のある埼玉県浦和市(今のさいたま市浦和区)から茨城県古河市までの50kmを走る「強歩大会」というわりと無茶なイベントを毎年10月末から11月初旬に行っている。
私にとって高校生活最後となった3年目の強歩大会は朝から土砂降りの雨が降り続く最悪のコンディションだったが、校長と校医がぎりぎりまですったもんだした挙句、大会は決行された。私たちは冷たい雨で下着までびしょ濡れになりながら、長い道のりを走り(歩き)抜いたのだった。父は場所を何度か変えながら、その姿を写真に残していた。自分に残されたわずかな時間を、そのために使ってくれた。
父と酒でも交わしながら、その礼が言いたかった。そのことだけが私の心残りだ。

 

それから二十数年が経ったいま、私はどういう因果か受験生をサポートする仕事を生業にしている。雑誌の編集に協力してくれる大学生(元受験生)の体験談や現役受験生たちから届く声からは、あの頃の私と同じように、色々なことで苛立ったり落ち込んだりする姿が見えてくる。
そして、その受験生たちのまわりには、父親や母親をはじめとする家族の姿がある。受験生の皆さんには、どうかそのことを心のどこかに留めながら、前に向かって進んで欲しいと思う。トンチンカンなことを言われてイラつくこともあるかもしれない。けれどそれは、息子や娘の成功を願ってやまない人々からの、どうしようもなく不器用だけど心のこもったメッセージだということを、忘れないでいてほしい。

 

まもなく2016年が終わる。新しい年が、すべての受験生にとっての勝利の幕開けでありますように。

 

いよいよ大学受験シーズン本番。

仕事 大学入試

螢雪時代1月号、明日発売です。よろしくお願いします。

www.obunsha.co.jp

 

明日になると、来年1月14・15日に実施される大学入試センター試験まであとちょうど1か月となる。この1月号では、センター試験本番に向けた科目別の攻略ポイントなど学習系記事のほか、緊張と不安の真っ只中にある受験生が本番で慌てないためのメンタルをサポートする記事を多く盛り込んだ。

その一助になるかどうかわからないが、巻頭では「いくぞ、受験生!!」と題して、今年小誌にご登場いただいた先生方から受験生への応援メッセージをいただいた。僭越ながら私も拙いメッセージを書かせていただいたので、本人の許可を得て(ぉぃ)、発売に先立ちここに転載したい。

これから大学入試本番に臨む

受験生のみなさんへ

 

 受験生のみなさん、『螢雪時代』をご購読いただきありがとうございます。

 

 第1志望合格には年間の学習プランが肝心、と小誌4月号誌上でお伝えしてからもう9か月が経ち、大学受験シーズンの本番まであと1か月となりました。時が過ぎるのは、本当に早いものですね。この9か月間、志望校の入試を突破するために努力を重ねてきたみなさんだからこそ、その実感は強いことでしょう。

 

 年間の学習計画を立て、科目別の対策をし、模試を受けたり過去問を解いたりしてはその結果を受けて復習し、あるいは学習計画を見直し、ときには体調・メンタルケアをしたりと、目が回るような忙しさだった人も多かったのではないでしょうか。小誌編集部一同、時期ごとの「受験生がやるべきこと」をできる限りアドバイスしてきたつもりですが、そのすべてを完璧に実行しなければならないわけではありません。受験勉強の節目節目で、「やるべきことをやったな」という実感をみなさんに持ってもらえれば、それで十分だと思っています。その実感があなたの「ふだん」になり積み重なっていくことで、それは自信となっていくはずです。

 

 本番に臨む準備がまだできていないような気がして、不安に苛まれている人も少なくないでしょう。まだ、時間はあります。どうか「ふだんの自分」を思い出して、落ち着いて準備を進めましょう。

 

 学習計画が思うように進まなかったり、

 弱点を克服するのに苦労したり、

 夏休みはついだらけてしまったり、

 その結果、模試の判定に落ち込んだり、

 本番まで残された日数を意識して急に焦ったり…。

 

 そんな「受験生のふだん」を乗り越えてきたあなたなら、きっと大丈夫。

 みなさんの「ふだん」を、ぜひ試験当日にも発揮しましょう。そしてもう一つ大事なことは、最後の最後まであきらめないこと。

 

 ゴールはもう少しです。最後まで、いっしょに走り続けましょう。

 

 がんばれ、すべての受験生!!

 

2016年12月14日

月刊『螢雪時代』編集長

倉賀野 次郎

 

受験生への応援メッセージは、小誌『螢雪時代』Twitterでも、ハッシュタグ「 #いくぞ受験生2017」で展開する。老若男女問わず、大学受験を経験した先輩方からの応援メッセージをいただければ幸い。

 

キュレーションサイト騒動について、いち出版業界人として思うこと

仕事

DeNAの医療・健康情報キュレーションサイト"WELQ" の炎上に端を発したキュレーションサイト問題が大きな広がりを見せている。ウェブメディアそのものの構造的問題を論じた記事、盗用と剽窃を繰り返すメディア編集長との戦いを描いたドキュメント、記事大量生産の現場からの内部告発など、いろいろな角度からの記事がメディアを賑わせている。盗用と捏造記事で築かれた山が崩れたことで、取材と独自考察に基づく記事コンテンツが大量に生み出される結果となったのはいかにも皮肉な話だ。(もちろん、この件を論じてPVを稼ぐために盗用で構成された記事も無数にある。そういう共喰いのようなメタ構造のような状態も面白といえば面白いけれども)

 

そうした中、SNSを通じて1本の記事が私の目の前に回ってきた。
◼︎1円ライターから見た、キュレーションサイト「炎上」の現場
http://magazine-k.jp/2016/12/08/writing-for-curation-media/

クラウドソーシングサービスに登録し、キュレーションサイトの記事大量生産に従事しているという「自称ライター」の書いた記事だ。「自称ライター」という呼称に悪意が感じられるかもしれないが、敢えてこう呼んでいる理由は後述する。

 

まあとにかく、記事を読んだ第一印象は最悪だった。筆者の、私には筆力がある、努力すれば成り上がれるはずという謎のプライドと、糊口をしのぐために慣れないライティングに従事する主婦ライターを気遣うような素振りで見下す視線、一方で、ライティングを職業として成立させている「本物の」ライターに向けられた凄まじい怨嗟と悪意―そういった心の闇みたいなものがドクドクと染み出しているのが感じられて、正直吐き気を覚えるほどだった。(飲酒していたせいもあるかもしれないけれど)
一夜明けて、少し冷静に考えてみる。記事の内容には相変わらず全く同意できないけれど、その要因を筆者の筆力や人格に帰するのではなく、「文章を書く仕事」にキュレーションサイトというビジネスモデルがもたらした認知の歪みみたいなものに対してきちんと向き合い、誤っている部分に丁寧に反論を加えていくのが、曲がりなりにも言葉や文章で商売をしている業界人としての役割ではないかと思っている。

 

さて。今さら言うまでもないが、雑誌づくりの現場にライターの存在は欠かせない。小誌『螢雪時代』でも、社員編集者が入試動向分析など専門性の高い記事を執筆する一方、何人ものライターさんにバラエティ豊かな記事執筆・編集の協力を得て、硬軟取り混ぜた雑誌が成立できている。
ライターに支払う報酬について、詳細は守秘義務があるのでさすがにここには書けないが、はっきり言えるのは、金額の算出にあたって「1文字●円」というような計算はまずしないということだ。そもそも原稿の文字数は編集者やデザイナーが主体となって決めるものだし、ダラダラ長く書けば報酬が上がるというようなモチベーションで仕事をされても困る。(そんなマインドのライターに会ったことは一度もないが)基本的には、記事の内容などに応じてページあたりの単価をライターにオファーし、相談して決めるのが常だが、敢えて1文字単位の価格に換算するならば、「1円ライター」と自称する人のゆうに10倍以上は支払っているはずだ。だから、私たちが付き合っているライターさんたちは、上の記事の筆者に言わせれば「肥え太る高級ライター」なのだろう。

 

かくいう私も世間を知らない学生時分、文章を書くのが比較的得意だったこともあって、将来は“物書き”になりたいと思っていた。物書きとは小説家なのかフリーライターなのか新聞・雑誌記者なのか、ヴィジョンがイマイチ定まらないまま就職活動に突入し、どちらかというと物書きにものを書かせる側のポジションに落ち着いて現在に至るわけだが、これまでの仕事を振り返って、自分は物書きを職業としなくてよかったとつくづく思う。
小誌に原稿を寄せてくださっているライターにはいろいろな人がいる。もちろん主婦もいるし、一人で子育てをしながら独立系一筋でやってきたベテランもいる。彼・彼女らに共通するのは、ライターとして積み重ねてきた経験と知識の厚さ、そしてその仕事で生きていくという覚悟の強さだと思う。私たちは、そこから生み出される原稿の価値に対してお金を払っている。果たして自分がその道を選んでいたら、いつ収入が途絶えるかわからない恐怖に耐えて、質の高い文章を書き続けることができていただろうかと想像し、体が震えるような感覚を覚える。それを思うと、文章を書くことで生活を維持し続けるライター諸氏には敬意を払わずにいられないのだ。

 

現代は、未だ嘗てないほどに多くの人々が文章を書き、世界に発信している時代だ。インターネットの普及によって文章を発信するための物理的ハードルが劇的に下がり、一見コストも体力もかからない「文章を書いて稼ぐ」という職業スタイルは、人々にとってますます魅力的に映るだろう。“不労所得”を夢見てブログを開設し、アフィリエイトコードを取得して広告をせっせと貼り、記事を何万字書いても収入は小遣い程度にすらならず、当然誰も自分をライターとは呼んでくれない。「ライター募集」「キュレーター募集」。クラウドソーシングサービスから囁かれる言葉が、どれほど甘美に響くことか。
しかし、それに惹かれて集まった人々に与えられるのは、見知らぬ他人が書いた文章をコピーし、切り貼りする仕事。Googleで検索した情報を元に、さも自分が現地で取材したかのような記事をでっち上げる仕事。それはライティングでもキュレーションでも何でもない、ただの軽作業ではないか。冒頭の記事の筆者を「自称ライター」と敢えて呼んだのは、そのようなわけだ。
その職場は優しさに満ちていると、自称ライター氏は言う。しかし、言わせてほしい。ライターになりたいという人々のささやかな夢につけこんで夢とはほど遠い軽作業をさせ、やりがいと労働力を二束三文で搾取する現場のどこに優しさがあるというのか。

 

(とここまで書いてふと思ったのだが、件の記事こそキュレーションサイト運営側から1文字1円の依頼で書かれたのでは?という気がしてきた。勘ぐりすぎだろうか)

 

陰謀論めいたつぶやきはさておき。
一連のキュレーションサイト運営会社は、ライターを夢見る普通の人々を騙し、Googleの検索アルゴリズムを騙すことで莫大な利益を掴み、それと引き換えにウェブメディアへの信頼は地に墜ち、ライターという職業は製造業の一角に勝手に組み込まれたことでその存在意味自体に揺らぎが生じてしまった。「キュレーション」は、その言葉本来の意味を完全に失ってしまった。その責めを負うべきは誰なのか、そこは論を待たないだろう。

 

私は、何もライターが特別な職業だというつもりはない。正当な能力と実績を持つ人が正当に評価されるべきなのは、営業マンであれ経営者であれ、主婦であっても同じこと。人々が働く世界は、そうあってほしい。私の願いはそれだけだ。

 

 

最後になるが、1文字1円のクラウドソーシングサービスならここまで書いて2,728円。半日以上かけて書いたが、正当な報酬だろうか?